芸者廃業とおでんの店 「冨茂登」の誕生
昭和34年、京子は突然の交通事故に見舞われます。乗っていたハイヤーが正面衝突を起こし3ヶ月の重傷でした。顔に傷が残り東京で整形手術を受けたのですが、これを期に芸者を廃業することにしました。
そこで京子は第二の人生として、現在の冨茂登の横でおでんの店を始めました。
名前は『酒は泪かため息か』で著名な作家、高橋掬太郎の命名によります。箱館山の麓(ふもと)から字画を選んで冨茂登と名付けていただき、看板の書も先生自らが割り箸を削り墨でしたためたものです。
その後、作家の山口瞳さんにもごひいきしていただき著書「いきつけの店」でご紹介して下さいました。