花はくれない 柳はみどり
大女将は生前、『花はくれない柳はみどり』という自身の半生を綴った本を出版いたしました。
現在も好評発売中でございます。
1,200円(税別)
お求めの方はお電話にてお問い合わせくださいませ。
函館の郷土料理・日本料理
花はくれない 柳はみどり
大女将は生前、『花はくれない柳はみどり』という自身の半生を綴った本を出版いたしました。
現在も好評発売中でございます。
1,200円(税別)
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料亭「冨茂登」
時代とともに宝来町の町並みも変わりました。お店も移転を期に、料亭「冨茂登」として生まれ変わり、京子の次男で現在の店の主人である 尾形 有司 によって新たな名物料理をご提供することができるようになりました。
山口瞳さんがお気に入りだった「烏賊の糸造り」をはじめ「いくらめし」や「根ぼっけの西京焼」など。また、函館ならではの新鮮な魚介をご用意しています。
大女将、尾形京子が日頃申していますのは「お客さまへの感謝の気持ち」を第一に考えることです。それは、京子が芸者時代に培った最も大切な経験かもしれません。
毎年夏になると高田屋嘉兵衛祭が行われます。この祭りは嘉兵衛の没後150年にあたる昭和51年に京子をはじめ地元の人々が企画し盛り上げてきたもので、この時ばかりは宝来町もかつての賑わいをみせます。
ぜひともこうした、歴史に想いをはせながらお料理をお楽しみいただければ幸いです。
芸者廃業とおでんの店 「冨茂登」の誕生
昭和34年、京子は突然の交通事故に見舞われます。乗っていたハイヤーが正面衝突を起こし3ヶ月の重傷でした。顔に傷が残り東京で整形手術を受けたのですが、これを期に芸者を廃業することにしました。
そこで京子は第二の人生として、現在の冨茂登の横でおでんの店を始めました。
名前は『酒は泪かため息か』で著名な作家、高橋掬太郎の命名によります。箱館山の麓(ふもと)から字画を選んで冨茂登と名付けていただき、看板の書も先生自らが割り箸を削り墨でしたためたものです。
その後、作家の山口瞳さんにもごひいきしていただき著書「いきつけの店」でご紹介して下さいました。